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2024.12.24

論文でウェルビーイング!第4回「感性とウェルビーイング①:『場所』の視点から」

はじめに

 日々の生活の中で、私たちはどのように物事を感じ取り、それを豊かさとして受け止めているでしょうか。日常の忙しさや変化の中で、そうした感覚は見過ごされがちです。しかし、自分の感性に立ち返ることは、ウェルビーイングを深める大切な鍵となるかもしれません。今回は、「感性」とウェルビーイングの関係について改めて考えてみたいと思います。

 

1.感性とは?

 まず、感性は、美意識とも関連しており、国土交通省白書(2019)では、感性を美意識、つまり「美しい・すばらしいと感じる価値や行動」(p. 20)と定義しています。このように、感性は美学の視点からも考察できますが、今回は、感性の定義を広義に「感じる能力」「感じ取る能力」(日本建築学会編, 2008)と定義します。

 

1.1 感性の可能性:社会課題~ウェルビーイングまで

 それでは、何を感じ取るのでしょうか?感性の持つ可能性には、社会課題を察知する能力が含まれていると私は考えます。例えば、桑子(2001)を参考に、環境問題を例に挙げると、環境と自己との関わりやその適切さを考えたときに、かかわりあいの中に不適切さを察知したとき、感性は、適切さを作り出す能力となります。

 武蔵野大学では、世界の喜びと痛み、社会課題を感じ取る感性を陶冶することを掲げています。感性は必要です。現代における感性の意義とは、感性が社会課題の解決の原動力となる可能性を秘めているうえに、感性は、個人・社会、そして世界のウェルビーイングを願い、行動するのに求められる能力だからだと私は考えます。

 

1.2 感性とウェルビーイング研究とその研究方法

 意外なことに「感性」と「ウェルビーイング」に関する論文は、あまり多くありません。CiNii検索によると、検索結果の20件中、重複や関連の無いものを除くと、9件にとどまり、(参考文献に添付)感性について多角的に考察したうえで、ウェルビーイングとの関連に迫る研究は多くはないのが現状です。実際、学会誌『感性工学』2023年12月発行号のウェルビーイング特集における論文が「感性とウェルビーイング」をテーマにした研究のほとんどに該当するといっても過言ではありません。

 感性は、科学的にどのように研究されてきているのでしょうか?感性を測る定量的尺度はSD法(Sematic-Differential Method)など、感性工学において、存在しているのですが、感性は、データによって抽象化・一般化されうるものではなく、感性的経験の多様性・複雑性などから、人の多様な経験を総合的に捉える必要があるため、質的研究も重視されています(日本建築学会編, 2008)。この多様性・複雑性は場所にも当てはまり、研究の上では、感性的経験の発生した場所の文化や歴史、地理などを考慮する必要があります。

 

2.感性と場所

2.1 人文地理学的視点:「場所の多層性」

 感性が育まれる「物理的な環境」の複雑性・多様性については、人文地理学の観点から多くの研究がなされています。そもそも地理学は、自然地理学と人文地理学の2種類に分類されます。前者は、地形や気候など地球環境における自然現象を扱います。一方の人文地理学は、人間と物理的環境との相互作用を研究対象にします(Gibson, 2020)。

 英国王立地理学会の公式雑誌 Geographical (2023) によると、人間は、空間を無数の異なる方法で名付け、分類し、区切り、割り当て、神聖化してきました。そして、個人・集団・社会として多様な考えに沿ってこれを行い、世界における様々な考えや行動様式を生み出してきました。これらの文化は、決して静的ではなく、異なる空間・時間軸で同時に変化し、重なり合い、相互作用しています。フェミニズム地理学者のドリーン・マッシーも同様に、著書『空間のために』(2014)において、「場所の多層性」を主張しています。彼女によると、場所は、政治的・文化的であり、場所のアイデンティティは、重層的であると言います。

 さらに、「場所の重層性」を意識するのと同時に、どんな背景の人が場所を経験するのかという点も、重要です(日本建築学会編, 2008, p. 7)。そのため、場所と感性を論じる際には、場所と人の特性を踏まえたうえで、人と場所の遭遇を丁寧に考察する必要があると言えます。

 

2.2 文化地理学的視点

 人文地理学は、学際的学問かつ、特に近年、進歩的で批評的な立場を取っています(Geographical, 2023)。人文地理学の中の文化地理学では、場所とアイデンティティの関係、特定の場所に愛着を感じる(プレイス・アタッチメント/場所愛着と言う)などのテーマが扱われ、場所愛着は、環境心理学でも語られます。さらに、哲学においても、場所は存在論的に探求されており、例えば、ハイデガーやメルロ=ポンティの理論が人文地理学の背景哲学として登場します。日本の西田幾多郎の場所の理論も切り口になります。

 1980年代以降、文化地理学は、ポストコロニアリズム・ヒューマニズム・フェミニズム・ポストモダニズムの批評的な視点から人と物理的場所との関係性を論じてきています(Geographical, 2023)。ヒューマニスティック・ジオグラフィーは、特に、場所に結びついた人間の経験や感情を理解することに焦点を当てたアプローチです。

 

2.2. 1 ヒューマニスティックアプローチ

「場所の感覚」「場所愛着」「トポフィリア」

 人文地理学における、ヒューマニスティックアプローチは、実証的なデータや数字だけに頼らず、人々の視点を大切にし、風景や人間関係を通じて世界を理解しようとします。つまり、私たちがどのように世界を感じ、意味づけているかを探ることが重要だという考え方です(Smith, 2020)。

 場所の感覚(センス・オブ・プレイス)、場所愛着(プレイス・アタッチメント)(Chawla, 1992)、そして「トポフィリア」(Topophilia)(Tuan, 1974)は、すべて「場所との心理的なつながり」を指す用語です。「トポフィリア」を提唱したイー・フー・トゥアンは、ヒューマニスティック・ジオグラフィーの第一人者です。

 数々の研究が、場所の感覚は、特に子どもの幸福感に影響を与えることを明らかにしています(Mausner, 1996; Ulrich, 1983; Chawla et al., 2014)。 加えて、特に場所に対する強い感覚である「場所への愛着」は、子どもの発達にとって基本的な部分となりうることが分かっています(Goldon, 2008)。幼少期の自然環境における感覚体験は、記憶に影響を与え、(Beery and Lekies, 2019)、そして、幼少期の強い記憶は大人になるまで続き、場所への愛着を生み出す重要な要因のひとつであると論じられています(Chawla, 1992)。このように、自然体験によって育まれる場所への愛着は、子どもたちの幸福と発達の鍵となり得るだけでなく、大人になってからも場所へ愛着をもつことへの基盤になる点で肝要だと言えます。

 

3.場所の感覚とウェルビーイング

 場所への心理的なつながりとウェルビーイングの関係については、Goldon(2008)の研究において、場所への愛着が人間発達の基盤となり、そのことがウェルビーイングに影響を与えることが示唆されます。今回は、場所への愛着に注目しましたが、場所の感覚とウェルビーイングの関係は、様々な角度で研究が深められる可能性を秘めています。たとえば、自然体験では、人々は自然への愛着を感じるかもしれませんが、自然への畏怖の念や、安らぎ、安心感を感じる人もいて、それの感情が、心身にリラックス効果を与えたりすることで、心身のウェルビーイングにつながることもあるでしょう。したがって、場所の性質や人々の属性によって、どの場所でどんな人が何を感じているのか、その場所で何が起きているのかは、多様だと予想されます。

 

4. まとめ:感性と場所とウェルビーイング

 私たちの日常生活での感覚体験は、ウェルビーイングにとって重要な役割を果たします。感性は、五感を通じて世界を感じ取る能力であり、場所に根ざした経験がその感性を育むことに繋がります。場所の感覚や場所愛着は、特に人々の心理的な安定や発達に影響を与え、心身のウェルビーイングに寄与する要素として重要です。場所が提供する安心感や安らぎの中での、感性と場所の相互作用は、幸福感やウェルビーイングの向上に欠かせないものとなりそうです。

 このように、感性は単なる感覚の領域に留まらず、社会や個人のウェルビーイングに深く関わる可能性をもっています。今後は、場所と感性の関係をさらに、アートなど感性に訴えかける手法で掘り下げ、さまざまな環境や文化的背景が人々の心身のウェルビーイングに与える影響を、より深く探求することが求められます。次回は、「感性とウェルビーイング」第2弾として美学の視点からウェルビーイングを深堀していきます。お楽しみに!

 

一般社団法人ウェルビーイングデザイン

宮地眞子


引用・参考文献

国土交通省(2019)「第1部 新しい時代に応える国土交通政策 ~技術の進歩と日本人の感性(美意識)を活かして~. 第1章 平成の時代を振り返って. 第3節 日本人の感性(美意識)の変化」 国土交通省白書. https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h30/hakusho/r01/index.html (2024/12/24 閲覧)

日本建築学会編(2008)都市・建築の 感性デザイン工学 朝倉書店.

桑子敏雄(2001)新しい哲学への冒険(下) NHK出版.

日本学術会議 人間と工学研究連絡委員会感性工学専門委員会編(2005)現代社会における感性工学の役割 第6章 感性教育, 人間と工学研究連絡委員会感性工学専門委員会報告書. https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1033-5.pdf (2024/12/24閲覧)

武蔵野大学 ブランドステートメント(宣言) https://www.musashino-u.ac.jp/guide/profile/brand/ (2024/12/24閲覧)

▼「感性とウェルビーイング」に関する論文

1.髙岡 祥子,  高野 裕治, 瀧 靖之 (2024) 2.5次元写真が高齢者のウェルビーイングに与える心理的効果,日本感性工学会論文誌,1884-5258,日本感性工学会, 23,3, pp. 185-193, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390301330605980416,https://doi.org/10.5057/jjske.tjske-d-23-00061

2.宝珍 輝尚, 荻野 晃大, 福本 誠, 木下 雄一朗 (2023) ウェルビーイングと感性工学,感性工学,1882-8930,日本感性工学会, 21,5, pp. 197-202, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390017193114528896,https://doi.org/10.5057/kansei.21.5_197

3.宝珍 輝尚, 中村 駿也 (2023) ウェルビーイングのためのマルチメディア・ポジティブ・コンピューティング,感性工学,1882-8930,日本感性工学会, 21,5, pp. 221-226, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390298668091239552,https://doi.org/10.5057/kansei.21.5_221

4.古川 貴雄, 甲斐 咲帆. (2023) ウェルビーイングを向上させる能動的被服,感性工学,1882-8930,日本感性工学会, 21,5, pp. 215-220, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390580143067932288,https://doi.org/10.5057/kansei.21.5_215

5.中野 淳一, 青木 勝, 岩科 智彩, 古木 大裕, 大堀 杏, 井上 亮太郎, 前野 隆司 (2023) 行動変容を促すことによるウェルビーイング向上効果の研究,日本感性工学会論文誌,1884-5258,日本感性工学会, 22,4, pp. 325-332, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390298588087087232,https://doi.org/10.5057/jjske.tjske-d-22-00041

6.白肌 邦生. (2021) ウェルビーイング志向のサービス研究と感性,感性工学,1882-8930,日本感性工学会, 06-30,19,2, pp. 68-73, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390007060644793088,https://doi.org/10.5057/kansei.19.2_68

7.喜多島 知穂, 飛鳥井 正道, 末吉 隆彦, 磯崎 隆司, 前野 隆司. (2021) 主観的ウェルビーイングの分析と構造化,日本感性工学会論文誌,1884-5258,日本感性工学会, 20,2, pp. 129-139,https://cir.nii.ac.jp/crid/1390850810585430912,https://doi.org/10.5057/jjske.tjske-d-20-00048

8.荻野 晃大. (2020) ポジティブ・コンピューティングとは,感性工学,1882-8930,日本感性工学会, 06-30,18,2, pp. 55-62, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390574047041156736,https://doi.org/10.5057/kansei.18.2_55

9.渡邊 淳司, 村田 藍子. (2020) ポジティブ・コンピューティングを自分事とするために,感性工学,1882-8930,日本感性工学会, 06-30,18,2, pp. 63-67, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390855522027128448,https://doi.org/10.5057/kansei.18.2_63

 

Gibson. C. (2020) What Is “Human Geography?” in International Encyclopedia of Human Geography (Second Edition) ScienceDirect.

Geographical (2023) Geo Explainer: What is Human Geography? ScienceDirect.

Massey, Doreen B. (2005) For space. London, UK: Sage Publications.

ドリーン・マッシー(2014)『空間のために』月曜社.

Smith. (2020) Humanism and Humanistic Geography in International Encyclopedia of Human Geography (Second Edition). ScienceDirect.

Chawla, L. (1992) Childhood place attachments. Place Attachment (pp. 63–86). Plenum Press.

Tuan, Y.-F. (1974) TOPOPHILIA: A Study of Environmental Perception, Attitudes, and Values. Columbia University Press.
Mausner, C. (1996) A KALEIDOSCOPE MODEL: DEFINING NATURAL ENVIRONMENTS.
Journal of Environmental Psychology, 16(4), 335–348. https://doi.org/10.1006/jevp.1996.0028
Ulrich, R. S. (1983) Aesthetic and Affective Response to Natural Environment. I. Altman & J. F. Wohlwill (編), Behavior and the Natural Environment (pp. 85–125). Springer US. https://doi.org/10.1007/978-1-4613-3539-9_4
Chawla, L., Louise, Keena, K., Pevec, Iii., & Stanley, E. (2014) Green Schoolyards as Havens from Stress and Resources for Resilience in Childhood and Adolescence. Health and Place, 28, 1–13.
Goldon, J. (2008) Place Matters: The Significance of Place Attachments for Children’s Well-Being. The British Journal of Social Work, 40(3), 755–771.
Beery, T. H., & Lekies, K. S. (2019) Childhood collecting in nature: Quality experience in important places. Children’s Geographies, 17(1), 118–131.

 

 

 

 

 

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