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2025.02.16

論文でウェルビーイング!第5回「感性とウェルビーイング:『美学』の視点から」

はじめに

 前回は、「感性とウェルビーイング」について、「場所」の視点から考察しました。自然の場などでの五感を使った感性的体験が、ウェルビーイングに影響を与えることが示唆されました。実は、「感性」は「美学」と強い結びつきがあり、美学なしには語ることのできない概念です。今回は、美学とは?から、美学とウェルビーイングがどうつながるのかについて、特に「道徳美」に関する研究を紹介しながら深めていきます。

1.美学の歴史と概念

1.1. 美学の起源

 美学とは、「美もしくは芸術、あるいは感性的認識を主題とする哲学的学科」です(佐々木, 1995, p.3)。感性的認識を主題とするとはどういうことなのでしょうか?美学の定義を理解するためには、美学という言葉の成り立ちを見ていく必要があります。

 美学の父バウムガルデン(Alexander Gottlieb Baumgarten, 1714–1762)は、ギリシア語の「Aisthesis」をもとに、当時の学問の共通語であったラテン語で「Aesthetica」という概念を作りました。その後、この「Aesthetica」という言葉が、イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)により、美的な経験や芸術にかかわるものとして解釈されました。結果として、「Aestherica」は美に関する学問、つまり「美学」という意味合いが強くなり、現在の美学(Aesthetics)の訳につながったそうです。「Aesthetics」は、エステティックスと読みますが、日本ではエステと略されたりして、エステサロンなどのように美容分野で頻用されています。

<哲学者による「美学」という言葉の変遷>

  • プラトン・アリストテレス(古代ギリシャ:紀元前5世紀頃 
    • Aisthesis(感覚、知覚)ギリシア語『国家』『饗宴/パイドン』『詩学』に登場

Plato, copy of the portrait made by Silanion ca. 370 BC for the Academia in Athens

プラトン© Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons

 

Aristotle bust

アリストテレス After Lysippos, Public domain, via Wikimedia Commons

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  • バウムガルデン(1750年)
    • Aesthetica (感性的認識の学問)ラテン語『Aesthetica』エステティカ

Aesthetica

『Aesthetica』Baumgarten, upload by Ironie 13:15, 15 October 2007 (UTC), Public domain, via Wikimedia Commons     

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  • カント(18世紀後半)
    • Ästhetik(美に関する哲学)ドイツ語『純粋理性批判』(1781)『判断力批判』(1790)

Portrait of Immanuel Kant by Johann Gottlieb Becker, 1768

カント Johann Gottlieb Becker (1720-1782), Public domain, via Wikimedia Commons     

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  • 英語圏(18世紀末~19世紀)
    • Aesthtic(美的なもの=美学)英語

 美学は、日本では、明治時代に西周や中江兆民などにより西洋哲学が紹介された際、Aestheticsが美学として訳されました(佐々木, 1995)。バウムガルデンの「感性的認識の学問」やカントが美的な経験や芸術にかかわるものと解釈したことを踏まえると、「美学」には、「芸術」「美」「感性的認識」の3つのテーマがあると言えます(佐々木, 1995)。そのため、美学は感性学ともいえるのです。次に、「美」について、特に道徳美・自然美に着目して論じていきます。

 

2.美についての理論と研究

2.1.「道徳美」が希望感を介して「幸福感」に寄与する?

 アメリカの心理学者レット・ディースナーほか(Rhett Diessner)は、カント(1790, 1987)やヘーゲル(1835, 1993)の理論を基に、従来の自然美 (natural beauty) 、芸術美 (artistic beauty) に加えて道徳美 (moral beauty) について研究を深めました (Diessner et al., 2006)。特に、道徳美と大学生の希望感(hope)との関連を探るべく、尺度(Adult Dispositional (Trait) Hope Scale: ADHS (Snyder et al., 1991); Engagement with Beauty Scale: EBS (Diessner et al., 2005))の使用に加え、大学生を対象に12週間、「美の記録」(beauty logs)を任意でつけるよう指示しました。具体的な指示は以下のとおりです。

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🌸「美の記録」のアクティビティ🌸

(1) 自然のなかで、あなたが美しいと感じたものについて述べよ。

(2)人間が作り出したもの(広い意味でのアート・工芸品)のなかで、あなたが美しいと感じたものについて述べよ。

(3)人間の行動(広い意味での善行)において、あなたが美しいと感じたものについて述べよ。

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  • 最低3文(自然、芸術、道徳の3つについてそれぞれ1文)、最大3段落まで。
  • 毎週3名の学生に3つのカテゴリから1つ選んで音読してもらう。
  • 参加は任意で成績に影響はしない。

 

 結果としては、自然美については、夕焼け、空、花などが多く挙げられ、芸術美については子どもの絵、家にある物、建物のデザイン、音楽などが挙がりました。道徳美については、自分の時間を犠牲にして誰かを助ける人が多く挙げられました。本研究には、美の記録を書かない比較グループが存在します。

 考察として、美の記録に参加した学生は、特に道徳美へのかかわり(記録についての簡単な話し合い)が、希望感の高まりに影響を与える可能性を示唆しました。希望感は、学生の学業成果や幸福などと相関したり、自殺やうつ病などの予防にも役立つため(Snyder, 1994;  Snyder & Lopez, 2002; Peterson & Seligman, 2004)、道徳美の研究は、子どもや十代を対象とした研究が今後期待されます(Diessner et al., 2006)。

 このように、美は道徳性を介して人の幸福度に寄与する可能性が示唆されていますが、自然美が人の幸福度に寄与する可能性も忘れてはいけません。次節では、自然美について論じ、ウェルビーイングとの関連を探っていきます。

 

2.2.自然美:自然経験の重要性

 桜の散り際に美しさを感じる。自然に美を見出すのは、古今東西共通の感覚です。

 佐々木(1995)は、自然美を、「真の自然美とは、われわれを包む大きな光景のなかで、全身の感覚を通し、感嘆の念をもって捉えられた、存在の無限性のことである。」(p.21)と定義し、自然に身を置き、美しさを体感する大切さを示しています。美における体験の重要性については、アメリカの哲学者ジョン・デューイ(John Dewey, 1859-1952)も同様に、美は経験であり、日常生活に根差すものだと主張しています(1934)。美的体験は、日常生活のなかにも存在しますが、自然のなかでの経験は、それをより一層強めるのかもしれません。このように、自然のなかで、美しさを感じる経験こそが、真の自然美だと言うのです。

 さらに、カントは、美しいものに惹かれるのは、単に個人的な感覚ではなく、美しいと思う感情を他者と分かち合い、ともに感じることを求める「社交性」に起因すると説明しています。彼は、「美しいものが関心を惹くのは、経験的にはただの社会においてのみである。」(中山訳, 2023, p. 370)そして、「(略)…それはおそらく人間性が一方では普遍的な共感の感情を意味するとともに、他方では自己をきわめて誠実かつ普遍的な形で伝達することのできる能力を意味するからであろう。これらの特性は一つに結びついて人間性にふさわしい社交性を作り出すのであり、こうした社交性によって人間は動物的な狭さから区別されるのである。」(中山訳, 2023, pp. 534-535)と述べており、美的感覚には社会的な側面があることを示唆しています。

 ここまで、ディースナー、カントの研究や理論を紹介しながら、道徳美、自然美について考察してきました。これらを踏まえて、議論を一旦整理します。

・美についての感情を他者と共有したいという欲求が、美に惹かれる理由の一つ。(カント)

・美は自然のなかで直接体験することで、より本質的なものになる。(佐々木・デューイ)

道徳美では、振り返りや共有を通じて、希望感さらには幸福感向上につながる可能性。(ディースナー)

 カントやデューイの理論、ディースナーの研究を組み合わせると、例えば、ディースナーの「美の記録アクティビティ」を自然の中で実践・共有することで、体験者はより深い自然美に触れたり美にかかわることになります。このような美への深いかかわりが、個人的な幸福感を高めたり、他者とのかかわりの中で社会的なウェルビーイングを育むことにもつながるのではないでしょうか。

 

3.まとめ

 今回は、美学の視点から、感性とウェルビーイングの関係について論じてきました。美学は感性学であること、そして自然における感覚・知覚経験こそが真の美であることを概観してきました。美学について勉強していくなかで、芸術や愛、生と死のテーマとも関わることが分かり、その奥深さに興味を惹かれつつも、今回は、自然美と道徳美についてピックアップしてみました。特に、ご紹介したディースナー(2006)の「美の記録アクティビティ」は、個人で簡単に実践できるものなので、例えば一週間に一回、「自然のなかで、芸術のなかで、そして人の行動のなかで、美しいと感じたこと」について一言メモしておくと、自分自身への気づきが生まれたり、それが幸福感につながっていくのかもしれません。私もさっそく実践してみてどのような気づきが生まれるのか考察してみたいと思います!

 

一般社団法人ウェルビーイングデザイン

宮地眞子


引用・参考文献(記事内 登場順)

佐々木 健一 (1995)『美学辞典』東京大学出版会.

Snyder, C. R., Harris, C., Anderson, J. R., Holleran, S. A., Irving, L. M., Sigmon, S. T., Yoshinobu, L., Gibb, J., Langelle, C. & Harney, P. (1991) The will and the ways: development and validation of an individual differences measure of hope, Journal of Personality and Social Psychology, 60(4), 570–585.

Diessner, R., Parsons, L., Solom, R., Frost, N. & Davidson, J. (2005) Engagement with beauty scale: validation of measures of natural, artistic and moral beauty. Manuscript submitted for publication.

★今回取り上げた「美の記録アクティビティ」についての原著論文 ↓

Diessner, R., Rust, T., Solom, R. C., Frost, N., & Parsons, L. (2006). Beauty and hope: a moral beauty intervention. Journal of Moral Education, 35(3), 301–317. https://doi.org/10.1080/03057240600874430. 

Snyder, C. R. (1994) The psychology of hope: you can get there from here (New York, The Free Press).

Snyder, C. R. & Lopez, S. J. (Eds) (2002) Handbook of positive psychology (Oxford, Oxford University Press).

Peterson, C. & Seligman, M. E. P. (Eds) (2004) Character strengths and virtues. A handbook of classification (Oxford, Oxford University Press) (Washington DC, American Psychological Association).

Dewey, J. (1958) Art as experience (New York, NY, Putnam Capricorn) (Original work published 1934).

カント 著, 中山 元 訳 (2023)『判断力批判(上)』光文社.

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